10月10日、母が旅立ちました。

 8日に2度吐いた母。その後、熱を出したそうです。
9日に冷や汗をかき、異常に冷たくなっていた母。
休日でお医者さんはいません。

父     救急車は呼べませんか?
看護師さん 病院なので呼べません。もし、呼べば転院になります。
父     死んでしまったらどうするんですか?
看護師さん 17時ころ、先生が来ます。

 そう言われたのは、14時ころでした。
 
 診察して先生が、「おなかの風邪ですね。点滴しておきますね」ということで、点滴だけで、先生の危機感まるでなし。
 
 父は、母が危ないと思ったのか、私に電話してきました。私は、9日のうちに遠軽に向かいました。
夜、病院に行ってみたら、母は少しいびきをかきながら眠っていました。
口の中が白くねばねばした感じになっていたので、口のふちだけ拭いてあげました。
中まで拭いたら、飲食も出来てないのに、口がカラカラになっちゃうと思ったので。
 うっすらと目を開けた母に「具合悪くない?大丈夫?」って声掛けたら、「うん」とか、「はい」とか、3度ほど返事をしたので、回復してきたのかなとも思ったのですが、

 実は、最初、病室に入った時、母の顔を見て、ドキッとしたんです。
亡くなってしまったのかと思ったから。そういう顔に見えたんです。
でも、誰にも言えませんでした。

 そして、回復を信じて帰りました。

10日、朝7時ころ、「急変したので、急いで病院に来てください」と電話がありました。

 慌てて病院に向かいましたが、もう帰らぬ人になっていました。

 点滴と酸素マスクをして、まだ温かい母。
でも、点滴と酸素マスク以外、心電図とかなんの装置もつけていませんでした。

 危機感をもって、診ていてくれたとは到底思えない状況でした。

 それから、もう、どうしていいか、父もかなり悩んだようです。
「何が原因ですか?」って聞いても、「わかりません」っていうんです。
「たぶん、風邪の菌に心臓が耐えられなかったんでしょう。」っていうんです。
 
 本当に、病院の対応には悔しくて悔しくて… 
 
 ただ、母は、歩けなくなり、認知症になり、食べ物も流動食しか食べられない状況だったので、今は体も楽になり、ほっとしているだろうと、思いました。
 
 そう思うことで、父も私も妹も、そしていつも見守ってくれた、父方の叔母たちも、
心を鎮めようとしていたのかも。

 でも、父は、「あの時、転院していたらまだ生きていたかな」などと、後悔もあるようで、こんなに辛そうな父を見るのは初めてでした。
いつも生き生きしていた父が、本当に数日で、かなり参ってしまった感じです。
 
 14日に町内会の方たちに、手伝っていただき、母を見送りました。
あの小さな町で100名以上の方が来てくださいました。

 感謝の気持ちでいっぱいです。
 
母は、お花が大好きでした。タブレットでお花の写真を見せたら、本当に目がキラキラしてました。
それを父が見て、母にきれいなお花を見せてあげるために、タブレットを買いました。
それが、13日に届きました。一足、遅かったのです。
 
 15日、札幌に戻る前に、コスモス園に行ってきました。
 
 この写真も母に見せたら、喜んでくれただろうなぁ…